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円茂竹縄ブログ

条例の改正案近辺いろいろ最終章

だんだんスタンスが固まってきて、私は、「法で表現を規制すること」は反対だけど、「むやみに性表現・暴力表現を振り回すこと」にも共感はできない、という立場のようです。以下、またちょっと走り書きなのですが、どうしても書いておきたい。子供も表現も両方好きなのです。
あまり特定のところを強調したくないので、ぜんぶベタで書きます。読みづらくてすみません。
■追記:20100402■なんかアクセス多いので念のために。これ書いた時点で勉強不足のところが多大にあり、この後、自分自身認識が変わったところも多少あるかと思いますが、クリーンナップする時間が現状ないです。また私は専門家でないので、鵜呑みにはなさらないでください。表現が好きで、職業にまでしようとしていた人間が、ただの情熱で書いています。

PTAの言い分

東京都小学校PTA協議会さんの主張が こちら なのですが、あくまでこれが公式の文だとして、この内容に純粋に疑問を抱きます。順に。

●昨年の児童ポルノ事件は全国で前年比約4割増の935件と過去最多〜

児童ポルノ事件」とは、具体的にどういった犯罪をいうのかわかりませんが、児童が実写のポルノの被写体にされた事件、ということなのでしょうか?? 表現が及ぼす影響のはなしと、実際に起きてしまった犯罪の数が、むりやり繋げられている印象を受けます。

まず、個人的に中高生も「児童」で括るのはしっくりきません。中高生ともなると、かなり自我がありますし、判断力もある子が多いと思うのです。つまり、自分ですすんで被写体になる場合があるかどうか、ということが気になります。彼らが自らすすんで被写体になっていたとして、もちろんそれを買う大人もバカげています。が、自分ですすんでそうなっている場合、教育の問題・監督の問題もあるのではないでしょうか。“そういう価値観になってしまった”ことを、すべて表現のせいにするのは無理があると思います。

次に、判断力のない子が被写体にさせられた場合(私の感覚的には小学生以下ですが)、これは完全に保護者の監督の問題だと思います。私の感覚からすると、小学生でポルノの被写体にすすんでなりたいとは思いません。信頼する人間から「ポルノの被写体になるのはいいことだ」とする価値観をすりこまれたか、もっとハッキリいえば親が売り渡しているとしか思えません。
「買う側がいるから、売る人がいるんだ」というなら、それは「お金が儲かるから、卑猥な表現を量産するんだ」という、あなたがたの嫌悪する一部媒体側の言い分と一緒でしょう。
怒り心頭ですが、「売る」親はいると思っています。それとも、935件すべての「児童ポルノ事件」の犯人が、「漫画やアニメの影響を受けてやった」と自供しているんでしょうか?

とりあえずこの935件という数の具体的な内訳が知りたいところです。
■追記■内訳←これかあ。。。被害者の数をみると切ないですが、これが全部「表現によって貞操観念が歪められたせい」とするのも、それはそれで、やはりどうなんでしょうね。PTAvs表現者というよりは、両方の問題である気がします。切ないですね。

●また、漫画やアニメであっても〜何ら規制されることなく書店の店頭に置かれています。

これはちょっと、個人的に実感がないです。
センテンスにあるような「幼い子どもが自分から性交を求め、快楽を得ているかのようなもの、親子や姉弟・兄妹間の激しい性交が愛情表現の一環であるかのように片付けられているもの」が、「何ら規制されることなく書店の店頭に置かれてい」るところを目撃したことがありません。
私が行く書店さんは、どこも、あきらかに成人向けと思われる刺激のつよいものは、ちゃんとコーナーでくくって販売されています。

何ら規制することなく店頭に置いている書店もあることでしょうが、一部なのではないでしょうか?
だとしたら、書店さんまたは出版社さんにまず言うべきで、飛躍していきなり、しかも今回のように不審なほど急激な展開で、都条例まで制定しようとするのはよくわかりません。法律や条例は一部の人の価値観を満足させるためのもの、また、満足させる手間をはぶくためのものではないです。
もし、「これまでに散々、書店や出版社に申立をしてきたのに」という経緯があるなら、それも詳しくお書きになったほうが意見書に説得力が出るのではないかと思いますが、いかがでしょうかね。

●「児童ポルノは、見るだけならいいのよ」、「強姦や近親相姦も、漫画なら表現の自由だからいいのよ」

先の内容とも繋がりますが、「実在の児童が被写体にされているポルノ」と、「“児童”とされているものが登場する表現」を一緒くたにされてませんでしょうか??

私は女性ですし、子供もたいへん好きで小学校のボランティアに参加したこともありますが、優先して根絶すべきは前者の「実在の児童が被写体にされているポルノ」だと考えます。製作者にどのような意図があるのか問いただした上で、犯罪とするかどうかを決めるのが理想です。
ただ、意見書のこの書き方は、現実と仮想の区別がついていない印象をうけるだけです。

漫画表現があるから → 実在の大人が影響をうけて → 実在の子どもが被害にあうのだ、というロジックならば、くりかえしになりますが、ポルノ製作者がすべて「漫画やアニメに影響をうけてやった」、と証言しているんでしょうか。

以上、特定の作品をつつくのでなく、業界全体にローラーをかけようとするのがよくわからないです。

改正案反対派へもいいたい

石原都知事の過去作品について

これを持ち出して都知事を揶揄するのはまたすこし飛躍していると思う。個人的には、石原都知事が改正案賛成の発言をしていることは残念です。公営カジノつくりたい的なことといい、聞きかじったところによると、彼が都知事になってから子育て周りにおいてママさんパパさんからは評判がいいのだとか。いろいろな面で石原都知事は“本当の大人だ”と思ってたので、全面的な賛成発言は意外に思えました。

●PTAおちょくりすぎるのもどうよ

一部のまとめサイトの表現にも思ったんですけれど、改正案を出している人達の人間性をばかにするというか、茶化し過剰な文言もあって、そういうのは個人的にあまり気分がよくないです。どうなの。

●ちゃんとお礼をいいましょう

今回、反対意見のメールを民主党さん周りに送った人は、同じ数だけお礼のメールも出しといたほうが良いんじゃないでしょうかね。議員さんに継続して考えていただくきっかけにもなるかと思います。

描き手の立場から 〜長くてすみませんね〜

どうして過激な表現をするの?

ちょっといろんな立場を離れて、好き放題描くことができる一人の描き手としての考え。なんでもかんでもこれに沿って描くわけじゃないっすよ。


性といい暴力といい、どうして表現者は過剰な表現を取り入れようとするんでしょうか?私個人の考えでは、「それがテーマだから」です。
わかりづらいとは思いますが、性も暴力も笑いも悲しみも、それは表現の一つの駒です。「今回は飛車を積極的に動かしてみたい」というのとおなじような理由で、「自分にその表現ができるのか挑戦してみたい」「自分にとって、このテーマはどういう意味を持つんだろう?」「みんなもっと、この題材のこの側面に気づいたらいいのに」と、性・暴力といった、一般的には刺激のつよいとされているものを積極的に描くことはあります。


もちろん、金銭的に“これが売れるから、仕方なくやってる”という場合もあるでしょうが、個人的には作家さんからあんまりそうは聞きたくないですよね。できれば意図や、愛が込められていてほしいものです。愛ww
ただ、「お客さんにウケる」って、金銭的な意味以外でもすごく嬉しいものなんですよ。求められれば踊ってしまう気持ちもわからなくはない、というか私はお客さんのために踊りたいと思っている方です。お客さんが喜ぶなら、たいがいのことはしたいと思っている方ではあります。

表現と現実はべつのもの

不快感をあたえるのも表現のうち、という面もあります。たとえば村上隆さんの「My Lonesome CowBoy」について、解釈はいろいろあるでしょうけれども、私はとてつもない嫌悪感を覚えたと同時に、そういった表現が氾濫していることへの皮肉なのではないか、と共感しました。
村上さんの思惑はわかりませんが、おそらく私が感じたことも想定内だと思います。表現の成功は、とどのつまり、ある感情を想起させることです。

ここから話はとぶんですが、そのこと考えると、「性表現がすすむことで、実際の性犯罪が減っている」という言い方は納得がいかないです。どこかで「これがグラフだ」というのを見かけたんですが、まあ、数字で測りにくいことだと思いますし、どうなのかなあ、という感想は変わらないです。
私だって、これがおもしろいと感じたら全力で笑わしにかかりますし、これが爽快だと感じたら、読者にも爽快だと思ってもらえるように努力するんです。…それが成功してるかどうかは別として、表現する側ってそういうもんだと思うんです。つまり、欲情するような表現は欲情させるために描かれてるもんだと思ってます。

ただ、少なくとも、漫画やアニメにおいて表現された「きれいな女の子」以上にきれいな女の子って実在しないんですよ。
肌つやから髪から、表現者が全力で「きれいに」表現したキャラクターと、実在の女の子の魅力は、クジラとゾウくらい別の話だと思うんです。いま、そのどちらに反応するかの二極化もすすんでいますよね。

だもんで、漫画やアニメの性表現が即座に現実の性暴力につながるかというと、私はそう思えないんです。減ってることも信じませんけれど、増えてることも信じられません。

子供とのナイショ話

あくまで理想です。私は少年誌で活動してた頃、全国の子供とナイショ話がしたかった。「年上のいとこ」みたいになりたかったんですね。
子供ってすごく不自由ですよ、学校と家庭しか世界がないんです。大人みたいに飲み屋もなければキャバクラもない。学校とか家庭でフラストレーションを抱えたとき、ガス抜きできるのは娯楽作品しかないんじゃないかと思う。

パパママや先生が嫌いなわけじゃなくても、近所の年上のお兄さんお姉さんのいうことのほうが効いたりすることってあるじゃないですか。大人にいったらおこられるようなことでも、他人だから許容して正しい方向に注進をもらえることってあると思うんです。近所づきあいが希薄になってる今、その代わりになるのは、作家さんやその作品だと思うのです。

私も、「この根性は理解できない」という作家さんや作品が、ないわけではありませんが、それ以外の作家さんや作品まで一緒くたに潰しかねないような法律をつくるのは、なにより、子供がかわいそうに思います。世界をこれ以上、せばめないであげてください。

これからへの提案

まあ作家さんや出版社さんがとてつもなく忙しいのは重々承知していますので、また理想になっちゃうんですけれど。
規制反対派のママさんから、「今後、作家や出版社は、子供や学校へのボランティア活動をすすめていくべきではないか」との意見を伺いました。
それはいいなあ、と。どういう活動かは思いつきませんが、まあ、まんがの読み方ハックを教えたり(?)ですかねw
歴々のまんがやアニメ作品を「ここが面白いんだよ、深いんだよ!」という視点で解説してくのもアリなのではないでしょうか。
知るかぎり、目立ってそういう活動ってみないので、これはやってもいいんじゃないかなあと思う。