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円茂竹縄ブログ

まんがと小説と映画とゲームと酒と泪と男と女

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1699924.html
これ、東京の都条例の件でも猪瀬直樹さんが似たようなことtwitterで書いてた記憶。「まんがと小説はどっちが“高等”?」みたいな。
外出先でリンクをみかけたので、それこそ中身を最後まで読まないで私もtwitterに書いちゃったんだけれど、ちゃんと読んだら私と同じ考えのレスもあって、なんだ誰か言ってくれてるんじゃん、と。

表現手法は比べられるものじゃないんですよ、まんがも小説も映画もアニメもゲームも。タコとゾウとシャモとシダ植物を比べているようなものというか、よく出来た表現てのはそれ以外の手法ではものすごく再現しづらいと思う。
「この映画のこのシーンいいよね!」って思って、こんなシーンなんですよ、というその再現を、たとえばテキストでブログに試みようとしても、ものすごく冗長になって、2時間も3時間もかけて書いたのに結局すべては込められなくて「ああ、自分はなんてくだらないことをしてるんだろう!」と全消去してみたりということがあった20歳の夜、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。

私の場合「文章での再現能力がない」といえばそれまでなんですが、いやでもそういうもんだと思うんですよ本当は。
ソムリエが並べる洗練された言葉とワインそれ自体から受ける体験は、どちらも素晴らしいものだと思うし、絵画そのものから受ける印象と美術評論家が解説を試みた文章は、ひとしく美しいと思う。

で、twitterで書くのめんどくさいからここで補足すると、じゃあ良くできたメディアミックスはどうなのか、ということになりますが、あれはねえ、「別のサムシングが宿っている」という見方をするべきなんじゃないかとかね。
私がパッと思いつくところだと例えば漫画『ピンポン』の映画化なんですけれど、観た当時、すごくいい、イメージもぴったりだし、と思ったんですけれど、だからって「映画観とけば充分、漫画は読まなくていいよ」とは、私は人には言えないかなあ。松本大洋先生の絵だから感じるなにかってのも、おざなりにはできない。

同じような意味で私は、小説(というかテキストのみの表現)で「養われる」のは、思考力とか想像力じゃなくて、集中力と文章読解力だと思うんですよね。小説が映画化されて「すごい!イメージぴったり!」と思うことあるけど、それは「文章で的確に描写できてた」ということだもの。想像力が養われるって言い方だと文章家が描写できてないみたいじゃんw だから、「集中力と文章読解力」だと言いたい。まあ、言いたいだけ。

そんでまた、さらに細かいこというと、例えば海外モノだと、言語と、翻訳家A版と、翻訳家B版てのがまた違うわけですよ!
たまに「こーーれはどれも捨てがたいなあ!!」と思うことあって、全部を見比べているうちに
「どッ、どれが一番大事かなんて選べないよブウ!!!!」
みたいなことになって、そうなるときが私は受け手として最ッ高〜〜に幸せなときですよね。まじ力説したい。

わかる人にしかわかんなくていいけど、海外ドラマ『メンタリスト』の吹き替え版で“アナコンダ”っていうシーンがあって、ファンの間では伝説的なんですが、あれは秀逸だったなー。ほんと可笑しいシーンに仕上がってて、あんな経験は初めてした。ただ秒数に合うように訳してるだけじゃないんだなーと。

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そんなわけで、ほんとにどの表現手法にもギチギチさせられる何かがあって、それを上手く別表現で昇華できる人はともかく、私などは昇華できないので昂った気持ちをまんがにぶつけているというところがあります。

内輪で晒したら結構評判がよいようなので、昔書いたののスキャンをあげとく。内輪ウケネタというか我が家ウケネタなんですけれど。なんかこのときほんとに眠くて、でも寝られないなにかがあって描いたんだよな…ウインナーキューピーみたいのは家にあるUFOキャッチャーの景品ですね。クリックで拡大するかもしないかも