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円茂竹縄ブログ

将来の夢

花屋をボンヤリみていて思い出した。保育園のときに「将来の夢は」みたいなテーマで絵を描かされたときに、「お花屋さんになりたい」と、花屋めいたものを描いた。もっとも、実際に花屋になりたかったわけではない。テレビで子供が同じ質問をされてそう言っていたような記憶があったから、それを真似た。先人の知恵というやつだろう。

だいたい保育園の時分なんて、「ぬ」と「め」はそれぞれ何回丸めて書くのかとか、神社にあるセミの穴を掘らなければとか、セミの穴に水を入れなければとか、セミの穴に棒を突っ込まなくてはだとか、その程度の世界観しかないのに、『将来の夢』などとメタなことを訊かれても困る。人生で最も目の前のことに夢中なときだ。

そもそも、世の中にどんな職業があるのかもすべてわかってはいない。未だにわかってない。飲食店に入ったらメニューを出されてそこから選ぶように、『将来の夢』などというのも、おおよそどんな職業があってどんな職務内容なのか、ざっくりと把握してからの話だと考える。喫茶店に入って本格カムジャタンを頼んだって「できません」と言われるのがオチなんであって、『将来の夢』も「アナコンダになりたい」と書いたところで、それは無理だ、と言われるのがオチだろう。保育園児だってそのくらいはわかる。無駄なことをする必要はない。それより、セミの穴のほうが気がかりだ。

おおよそそのような考えで、花屋を描いて、提出した。
なので、少なくとも、保育園児に将来の夢を訊くなどというのは単なる大人のファンタジーに過ぎないと思う。大人の皆さんにおかれては、感心する答えが返ってきたからといって、参考の域をでないと考えられたい。

ところで、保育園に入園した日に書いた作文が、いまだに実家のアルバムに残されている。「ぬ」「ね」「を」の字あたりにたいへんな苦労がみられるが、なんとか読める。
それまで家で一人でモゾモゾとしていただけなのが、入園式とやらに行ったら似たような背丈の存在がたくさんいることに気づき、はじめて家庭の外の、コミュニティーというものがあることを認識したんだと思う。興奮して、帰った後に、今日の日のことを是非書き留めねばと、作文をした。

内容は他愛がなくて、隣の奴が泣いてただとかその程度のことだけれども、三つ子の魂百までというか、「なにかあったら書き留めねば」という衝動はいまだに根強い。隙あらばそうしている。だから今もこのように誰に読まれることもないブログを書いているのだし、まんがやイラストの原稿は私のその「日々の出来事収集」の集大成でもあるように思う。
大人があらためて「将来の夢は?」などと訊かなくても、意外に、子供というのはその第一歩をすでに踏み出しているのかもしれない。