画像は過去のらくがきから。意味なし。
先日、高倉健さんの追悼上映会がニコニコ動画であって、話のスジが基本的に切ないものばかりだったんで「なんで健さんはいつも我々を置いて行ってしまうんだろう」とかなしくなりました。心からお悔やみ申し上げます。
高倉健追悼 主演映画無料一挙上映【前半】 - 2014/11/23 20:00開始 - ニコニコ生放送
さて、先日インターネッツでは「小学4年生なりすまし騒動」なるものがありまして、
「小学4年生」でないことを証明していくツイッターの集合知が凄い - さまざまなめりっと
そもそもいろんな部分で法律違反や規約違反の疑いがあって、全体的に「やってはならないこと」ばかりだったんですけれども。
検証しずらい疑惑は置いておくとしても、NPO法違反あたりですかね、「何故これが許されないのか?」って、未成年のひとは学校の授業(公民だっけ?)で話し合ってみるとおもしろいんじゃないかと思ったり。政治って最終的に”人を支配できるもの”なので、扱いはデリケートかと。
気持ち悪い謎カウンター
話はズレるんですが、これに関してもっとも気に障る、逆鱗のありかが人によって若干違ってる感じなのも興味深いところでして。私は究極、なりすまし自体はそこかしこで頻発してるようにも思うんですが*1、癇にさわったのはサイトに設置されてた数字カウンターですね。
「何をカウントしているのかわからない」カウンターがカタカタと動いていた。設置目的はもちろん人の気を引くため、サイト内容に説得力を持たせるためです。その効果を期待してなかったとは言わせない。ああいう数字の使い方が人の心を掴むことを知ってたはずです。
”デザイン”は表現の一つだと思ってますし、私も表現を生業に(一応)しているので、表現に対してはできるだけ真摯でありたいと思ってる。主義主張がちがう人達すべてに対応することは無理ですけども、だからこそ、自分が「良い」と思っている範囲で提供する、しようとするのが最低限の礼儀なんじゃないんですかね。
…なんというか、パチンコの演出とかだったらまだしも、でしょうか。先に書いたように政治は多くの人に影響を与えるものですから、娯楽ではないはずです。
あの根拠不明・意図不明のカウンターを発想した人間は恥を知れと思いますね、裏を返せば政治を娯楽だと考えてる証拠だと思いますよ。政治の話題は自分を売り込むための道具だと思ってるし、根本的に人をバカにしてるのがよく現れていると思いました。
「小綺麗なデザイン」が増えている
それにしても、公開されていたサイトはそれなりに小綺麗で、上のまとめでもその技術力に注目したコメントだって多かった。
近頃、機材が安価になったりで素人でも小綺麗なものをつくりやすくなったと思うんですよ。何についても便利な無料講座がネットにあるし、フォントもカラーセットも素敵なものが無償で公開されてる。
一つ一つはクリエイターの誇りや善意から生み出されたものなのに、それを踏み台にして、人の気をひこうという輩も活動しやすくなったと思うんです。私のこの駄文だって、はてなの気の利いたテンプレートとPCのしっかりしたフォントで表示されたら、それだけで”ちゃんとした”もののようですよ。
なぜ”美しさ”に一定の説得力を感じるかといえば、たぶん無意識のうちに裏にある時間や金銭を感じとるからだと思うんですけども。
微妙ですが、外国の某過激派組織の公開する動画がどんどんクオリティ高くなってるって話題が内輪であって。演出とかね、パッと見”かっこいい”んだそうです。んでまた、「これがかっこいい」と認識できる文化レベルの人がそういうアレに加担するんだ的な意外性もあるんですけど。
いろいろなところで、だまされる人も増えるんじゃないかなあ、と思って、見破るのも大変になってくるんじゃないかとか。自分が今現在ヤラれてないとも言えない。全部一つのモニタでフラットに見えるんだもの、一見。
それでも、”妙なやつ、極端なやつ”って、細かく見ていくとボロが出てると思ってるんで、そのボロを見つける審美眼が大事になってくるんじゃないかとか。
そんなことを思っているんですが、どうなんですかね。
…という流れで、冒頭の高倉健さんの映画たちに戻ってみたり。むりやり。美しさのショートカットがしにくい時代のものは熱量の違いを感じる、ように思う。戻れてないか。
*1:だからそれが良いということでもない