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円茂竹縄ブログ

長岡花火・3 書籍『白菊』のこと

先日実家の方に帰ったら、こんな本が売られていたので読みまして。

 個人的に長岡花火が「泣ける」という言葉で喧伝されるのもどうかとは思っていて、私にとっては地方出身者特有の”田舎自慢”や、地震のときに現地にいたんですけどその時のしんどかった記憶など、いろんな思いがないまぜになった、ごく個人的な感情でしかないわけですよ。他のお客さんがどう思うかどう表現するかは別ですから。

「世界一」という言葉にも、たとえどんなに規模が小さくなろうが長岡花火は長岡花火だという思いがある。

とはいえですよ、地元民としてはやっぱり「泣ける」し、心情的には「世界一だ」と言いたい。私の連れもフェニックス初見時に泣いてました。いろいろのバックグラウンドを知らなくても、圧倒的な光と音、花火師さんの構成、そして平原綾香さんの楽曲の力で泣けるのだと。

「世界一」という言葉は花火師さんへの賞賛として贈りたい。

そんな(元)長岡市民なので手に取りましたが、長岡花火に興味をもっていただいた方にも是非読んでほしいです。長岡花火を長年にわたって打上げてこられた花火師・嘉瀬誠次さんを取材された本です。

嘉瀬さんの花火

 嘉瀬さんがどんな存在かというと、花火の観覧時など我が家でも必ず話題にのぼっていて、以前は、やれ引退が近いそうだとか、やれ腰の具合がよくないそうだとか。その体調まで噂になる花火師さんもそういないのではないでしょうかw

今はもう引退なさっておられますが、私もずっと嘉瀬さんの花火は観覧してきていて、まさか一素人である自分の感想が専門家のそれとカブるとは思わなかった。

本のなかでいくつか、嘉瀬さんが得意としていて同業者の方々も「あれはすごい」と評価する玉があり、著者の山崎さんがお好きだという白に内紅の玉、「わかる! あれきれいだよね!」って思いましたし、また『糸柳』と書かれている玉、おそらく真っ赤なしだれ柳だと思いますが、昔観たそれは本当に優雅で雄大で大好きでした。

『糸柳』の印象がこの10年ばかり確かに薄く、嘉瀬さんの引退にともなうものなんだろうか、と思ってみたり。

他にも、いつも観ていたあの玉この玉が、まさか嘉瀬さんの発案によるものだと思いませんでしたね。他でも上がってるんだと思ってました。

私の記憶では、レーザー光線演出や、ビッグXの打上げが始まったのも嘉瀬さん時代ではなかったかと思うのですが、とにかく定番だけでなく挑戦心にあふれた方であるようです。

子供の頃は毎年あるからというだけで観てたけど、なんかすごい人の作品を観てたんだな、と。

シベリア抑留経験とアムール川での打上げ

書籍の中盤から大部分を占めるのがこの話題で、最終的にロシアまでいって取材なさってます。当時の経験談、嘉瀬さんの淡々とした率直な語り口が印象的で、実際の経験者というのはあまりご自分では進んで話さないように思うんですが、よく引き出してくださったなと。

「帰ってこられなかった仲間のために」と、嘉瀬さんはハバロフスクでの打上げを決意なさるわけですが、嘉瀬さんが海外進出の先駆けだったとは知らなかったし、その経緯もそんなに大変だったとは思わなかった。

大量の火薬と打上げ筒の持ち込みは各国いまだに厳しいのだそうで、たしかにパッと見「兵器」だもんなぁ。その意味でも、花火が打上げられるというのは信頼と平和の賜物なのかもしれません。

この項はまたたくさん思うことあるけど、うまく言えない。とりあえず、ハバロフスクの方々がそんなにも嘉瀬さんの花火を喜び、覚えているというのはなんだか嬉しいです。今の長岡花火も是非観にきて欲しいなぁ。

”嘉瀬さん”以降の花火

私の印象ではこんなにも「長岡花火」が話題になったのは、やはりフェニックス以降だと思います。それまでも有名大会ではあったと思うけど、「フェニックスを観て泣いた」という評判が近年一番インパクトがあったように思う。

現在、もっとも大規模なプログラムですが、すでに引退していたにも関わらず、その打上げビジョンを示したのも嘉瀬さんだったらしい。

 

フェニックス以降、大型プログラムがいくつか増えて、本当にバリエーション豊かになりました。昔『糸柳』に感動したように、一つ一つの玉へ「ヤア、これはきれいだね」と思い入れることが少なくなったように思いますが、信濃川河川敷のロケーションを存分に活かした、豪奢な打上げが増えた。

今、嘉瀬さんてどのくらい関わっておられるのか不明なんですが、個人的に今年(2014年)は私、花火のもつ芸術性そのものにいたく感動したんですよね。『フェニックス』『天地人』『この空の花』などなど、それぞれより個性が出てきたように思うんです。

特に、それらを総合するかのように、三尺玉が本ッ当にきれいだと思った。原点に帰りました。やはり三尺。

 

近年加わった各プログラムも、毎年微妙に構成が変わってるんですよね。使ってる玉に細かい変化があって、一年たりとも同じ打上げってないんです。なので、地元民的には、同じ『天地人』でも「何年のが好きだ」とか、あるんですよ。

プログラムの大まかな流れは変わらないので、それぞれの個人的見どころ解説を書きたいと、未だに思ってるくらい今年は感動した。鬱陶しい長文がいくらでも書ける。鎮魂もそうなんだけど、それとは逆に「生の喜び」までがより内包されてきたように思いました。

そんな感じで、嘉瀬さんから引き継がれた方々の手腕も是非注目していきたい。玉作りに加えて、視覚的・音楽的な才能まで必要とされるように思う。観にこられた方も、花火ってこんなにアーティスティックで、こんなにエンターテイメントなのかと思われるはずです。それが長岡花火。だと思う。