ネット検索で出てきた壁紙見ながら描いたんですけれど。カンフー・パンダ。
Netflixで観返してて、結局ポーとタイランの明暗をわけたのって何だったんだろうな、とか。2まで観るとわかるけど(観なくてもわかるけどw)、二人とも同じような育ちですからね。
そんで、ということはですよ、実はシーフー老師とミスター・ピン(ポーのお父さん)にも同じような対比が見えるんですよね。結論としてはミスター・ピンは龍の戦士を育て、シーフー老師は“怪物”を育ててしまったわけです。
ミスター・ピンが印象的なのはポーを迎える姿ですよね。ポーが周囲からどんな存在として扱われようとも、いつでもいっぱいに羽根を広げてハグする姿に揺るぎない愛を感じます。シーフー老師だとて、おそらくは同じようにタイランを愛していたわけですが、結果的にタイランはああなってしまった。
1のクライマックスで吐かれるタイランの恨み節は非常につらいものです。「俺に夢を吹き込んだのはどいつだ、死ぬほど稽古させたのはどいつだ、俺の運命を奪ったのはどいつだ!」。
ポーとタイランの育ちが逆だったらどうだったろう。
一瞬タイランに共感しそうになるんですけれど、ただ、それに対してシーフー老師は「私が決めることではなかった」と答えます。
そのとおりでね、結局タイランを“怪物”にしたのはタイラン自身の選択ですよ。幼い頃から厳しい稽古をさせられたあげく龍の戦士に選ばれなかったのはマスター・タイガーなども一緒です。タイガー達は選ばれなかったことをやわやわと受け入れてる節がありますけれど、タイランがとった行動は谷をめちゃくちゃに破壊してまわるというものでした。
逆に、ポーは自ら“龍の戦士”に目覚めていきます。本当は、というか最初から、龍の戦士になるための資格など何もないんですね。
ポーだとてミスター・ピンにラーメン作りという望まぬ修行をさせられてたわけですけどw、ポーはそれを活かしてマスター・ファイブと仲良くなってますしね。力をどう使うかは本人の裁量次第であり、ラーメン作りをポーがサボってたらマスター・ファイブと打ち解けられたかどうか。そう考えると無駄なことなど何もない。
運命を、自らをつくりあげていくのは自分自身だというようなお話ですよね。ウーグウェイ導師がいうように、そこには「偶然などない」んだと思います。
…個人的に、タイラン、生きててほしいな、と思うんですけれどね。カンフーの才能は間違いなくあるだけに、もっとそれを他人のために活かす人になってほしいです。人じゃないけど。
3が楽しみなんだけどな~、日本で公開あるんですかね。