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円茂竹縄ブログ

東京都・青少年健全育成条例改正案について

俗に「非実在青少年」うんぬん言われてるあれです。
改正案の本文はこちららしいです、ここから引っ張らせていただきました。
各所にまとめサイトなどありますが、ぜひ改正案および青少年保護条例文の本文をお読みになってお考えください。以下、言葉足らずや不勉強なところがあるかもしれませんが、とりいそぎ。一個人としての意見です。

考え

私は、ろくに議論の場ももたれないような強引な格好で、特定の表現を規制するのが良い方法だととても思えません。議論の場があったとしても、特定の人や団体が」「善悪を判断して」「表現を規制できる」ことが、正しいことだとは到底思えません。ほとんどそれだけです。この際、描き手という立場から離れてもいいです。一般企業の会社員だとしても考えは同じです。

反対するのって、結局エロマンガとか好きだからでしょ?

「エロとか暴力とか、製作者が食い扶持をつなぎたいからわあわあ言ってるだけでしょ。芸術的なものだったらアリだけど」。
芸術的というのは、どこで判断するのでしょうか?非常にあいまいです。ある人には芸術だと感じられても、ある人には悪意だと感じられる表現などたくさんあります。エロや暴力に限りません、お笑いなどもそうでしょう。非常な極論ですが、人を傷つけない表現はありません。

一個人として、店頭に並ぶものに「下品すぎる、残虐すぎる」と思う表現もあります。そうしたものが売られている場にいくと、本当に気分が沈みます。
さらに言うなら、今回の改正案は主に「青少年へのポルノ被害を阻止するために」という目的もあると思いますが、私個人も、軽微なものですが、子供の頃に性的いたずらと感じられる行為を赤の他人に受けたことがあります。年齢を経て、やっと普通に言えるようになりましたが、それでも10年間ほど、親にも言えませんでした。そのくらいのショックでした。
よって、冷やかしで子供を性や暴力の表現題材にすることや、また実際に起こる事件などには心底憎しみを覚えます。

それでも、一概な表現規制は反対なのです。

欲望すら表現できない恐ろしさ

描き手として言えば、私自身は、みだりに社会に悪影響を及ぼすようなものを描いたことはないと自負しています。改正案が通されたとしても、直近には関係のない類の描き手だと思います。

ただ、今回改正案が通されて、規制があちこちで始まり、性に関しても暴力に関してもまったくないクリーンな街ができたとします。
でも、それは上辺だけです。人間に欲望がある限り、「表現」は欲されます。それらの表現はアンダーグラウンドに流れるでしょう。本当の意味で「下賤な表現」は決して無くならないのです。

今回の改正案などを読み、わたしは「子供は、下賤な表現を欲しがらない」ことを前提とされているように思いました。絶対にそんなことはないです。人間である限り、子供らにも欲望はあるでしょう。ない、と言い切るのなら、子供らが可哀想に思うのです。それは「人間扱いされてない」、ということだと思うからです。

わたしは、本当に必要なのは、清濁あわせもって子供らを導いてやれる大人だと思うのです。その一種が、作家・クリエイターと呼ばれる人達だと思います。私は、親にすら言えなかった前述の経験を、漫画や小説によって昇華することができました。「そういうこともあるのだ」と。子供にしてみたら過激な表現をした作品でしたが、それらの作品がなかったら、私は未だにふさぎこんでいたかもしれません。


何が人を傷つけるかわからない一方、何が人を救うのかもわからないものです。
「自分はきっと変なんだ」「自分は人と違うんだ」、そう思うことほど、人を孤独にするものはないです。まして学校や家庭以外、世界が制限された子供なら。子供でも大人でも、過剰に孤独になれば、それこそ犯罪にはしることもあります。
そこで、「いや、世の中って複雑だから、そういうこと“も”あるんだよ」と、すくい上げられるのは、作家さんしかいないんです。

その表現が、一部の人達からみたら“下品で残虐な”表現であることもあるでしょう。ただ、どうかそれを、曖昧な基準で規制しないでください。一部の人達だけで決めないでください。広く意見を聞いた上で判断なさってください。

今回の改正案の展開は早急すぎます。