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円茂竹縄ブログ

祖母、永眠

実家よりしらせがあり、祖母がついに永眠いたしましたので少し書きたい。

葬儀は、やはりまだ新型コロナもありますので、家族と話し合い、行かないことにしました。

 

1月に誕生日がきていたので、ちょうど100歳となります。

100歳! 意志の強かった祖母らしい、きりのいい数字です。

大正10年生まれですね。1921年Wikipediaによればメートル法が公布され、シャネルの5番が発売されたそうです。正直、ずっと高齢なので、以前も何回か「だめかもしれない」という話があり、そのとき買っておいたシャネルの5番を今ふりかけてみました。なんだか懐かしい香りです。

祖母は、というと、シャネルなどとても縁のない人生でしたね。戦争もありました。うちは祖父が早くに亡くなっていることもあり、片田舎で田畑をたがやし、牛を育てては売るなどして、戦後は苦労して男子3人を高等学校へ上げました。牛の扱いが上手だというので表彰されたこともあったようです。

私が生まれたときには、すでに父と母によって生活基盤は安定していたのですが、野良仕事はかかさず、できた作物を売って、独自に小銭をかせぐなどしていました。その手伝いをしては小遣いをもらったものです。

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「カラスを説得した」ことは我が家で伝説です。

ある日、畑の桃の木にカラスが営巣しているのを発見し、害獣取り去らんと巣の撤去を試みたのですが、親カラスが激しく抵抗する。中にどうも子カラスがいるらしい。

「そうか、おれ*1も親らすけ、気持ちがわかるいや。巣はそのまんまにしてやるすけに、畑に手出してくれんな」

と説得したところ、その年は、桃も畑も被害がなかったといいます。

「カラスは話が通じる」と、以降、一目置いているようでした。

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朝晩の読経もかかさず、毎日一言日記をつけるなど、自分に厳しいのですが、子や孫にもどちらかというと厳しい人でしたね。人間は学問をよくし、勤勉でなくてはならない。

晩年は、周りの同世代以上が一人一人、いなくなるたび、「おれも早く迎えがこねえかな」とボヤくこともしばしばでしたが、ついに100歳までその生を成し遂げました。100まで生きると、国・県・市と、三段重ねで賞状などいただけるようで驚きました。

施設の方々をはじめ皆さんに支えられ、「生きる」という一大事を完走できたことは、家族としてありがたい話であり、また、彼女の人生を誇りに思います。

祖母のぶん、皆さまの生にもエネルギーが灯りますよう。

*1:田舎のばあさんの一人称は「おれ」